売れた「作品」は誰のものか?おっさんずラブの顛末で勉強したこと

 
ついにおっさんずラブインザスカイのブルーレイ・DVDの売り上げが出てこれでおっさんずラブというコンテンツはひとまず全て終了したと思っていいでしょう。
 
そして売り上げという点においてはひとつ答えが出ました。
 
円盤初動売り上げ
不動産→ブルーレイ+DVD  38,507枚
インザスカイ→ブルーレイ+DVD 4,896枚
 
結果は出ました。桁が違いましたね。
 
 
 

恋愛ドラマのシリーズ化

 
円盤の売り上げから見ても何万人という人が熱狂した「おっさんずラブ」というドラマをが「相棒」「ドクターX」のようにしたいと目論んだのは分かります。テレビ朝日さんはシリーズ化大好きなようなので。
 
さてシリーズ化するとしてそのドラマを「見る」人たちこの売る上げを叩き出した「熱狂的なファン」は何を望んでいたのか?
 
私自身はおっさんずラブ特有のノリや面白い部分ももちろん好きでした。
 
けれど熱狂した部分は「そこ」ではないです。
 
「春田」と「牧」の普通の恋愛に熱狂していたんです。
 
 

 
 
だからシリーズ化したいのであれば「春田創一」と「牧凌太」の物語の続きを描くべきですし、それが殆どの熱狂的ファンが望まれていたことです。
 
しかしフタを開けてみれば「春田創一」だけを残したパラレルストーリーとしてのシリーズ化。
 
もしこのドラマに複数の可能性があったとした中でも最悪の選択だったのではないでしょうか。
 
 
 

「春田創一」に他の選択肢はなかったのか?

 
 
例えば
「おっさんずラブ」の制作チームによる田中圭主演の別ドラマ
 
この場合でも「おっさんずラブ」という肩書きは使えますし、自分たちがやりたい新しい挑戦も出来ます。おっさんずラブのヒットにより注目度もあったはずです。
 
また例えば
「おっさんずラブ」というタイトルはそのままに空港を舞台の成瀬と四宮を主軸にした新しい話。「春田創一」はそのまま天空不動産の「春田創一」として出演する。
 
ちなみにこれであれば「春田創一」を使い回したインザスカイより売り上げは上がってたのは?
 
特茶でのコラボでどれだけ売り上げがあったかまでは分かりませんが減少したということはないだろうし、牧の顔が映ってなくともその存在さえあれば課金する人たちは確実にいたでしょう。寂しい気持ちはあれど強い反発は生まれなかったと思います。
 
ではなぜそれをしなかったのか?
それは天空不動産の「春田創一」の人気を利用したかったから。フォロワー30万以上のアカウントを手放すのが惜しかったからと推測します。
 
 
 

作為はなくとも感じてしまえば同じ

 
インザスカイが決まっていたからなのか「牧凌太」を公式が出し渋るという事態が起こりました。インザスカイは春田が別の人と恋愛する話です。牧の存在が大きければ大きいほど公式には邪魔だったのか?
 
スムーズにインザスカイへ視聴者を移行させるためには「春田」と「牧」のイメージを薄めたい。そう考えたのか?
 
それを象徴するのが「メモ返金騒動」ではないかと思いました。

 

【劇場版おっさんずラブ展~君を好きになってよかった。~
限定商品「劇場版登場春田家冷蔵庫付箋メモパッド3種セット」に関するお詫びとご連絡】

 
 
私は行けてなかったのですが劇場版おっさんずラブ公開前の展示会で、劇場に登場するという触れ込みで牧が書いたメモと同じデザインのメモを売っていました。
 
しかしこのメモのシーンは本編ではカットされてしまいます。
 
本編に出ますといって商品を売ったのにそのシーンをカットするなんて言語道断ですよね?この件の関しては詐欺なので犯罪だと思っています。
 
ここまでされて牧の存在を薄めようと意図してやってる訳ではないと言われてもそう思うのは難しいです。作為的と思われてもしょうがない。
 
しかし恋愛ドラマの恋愛相手を変えるために作為的に結婚の約束までした相手を消そうとするとか狂ってますよね。書いてて自分でもハッピーエンドで終わったはずのドラマがなぜこんなことになったのかよくわかりません。
 
 
 

本当に自分のたちのやりたかったこと

 
もともと制作陣はインザスカイのようなドタバタコメディで武蔵ラストのドラマが作りたかったのかもしれません。
 
けれど「春田」と「牧」にあまりにも熱狂的なファンがついてしまったり、キャストの演技に引っ張られた結果、ラストが変わった可能性もあります。
 
だからインザスカイでは「武蔵」のライバルに匹敵する「成瀬」に相手を作ってラスト春田が武蔵と結ばれても文句が出ないようにしたのではないのかと。
 
結局は「自分たちのやりたいこと」と「爆発的な売り上げを記録したファン層」どちらも欲しいがために「春田創一」は利用されたのですよね。
 
 
 

作品は「誰の」もの?

 
 
作品はもちろん作り上げた人、「原作者」のものです。
 
ただこれだけ愛された「作品」として、ファンがどんなことを望んでいるのか?少しリサーチすれば分かることだと思います。大きな会社ですしそのくらいのこと出来ますよね?
 
しかしそれはぜずに自分のたちのやりたいことはやりたい。そして見て(視聴率)ほしいし、売り上げも前作同様に欲しい。というのは無理がある。
 
見せたいものを見せるのか。自分たちの作りたいものを作るのか。
 
 
ここまで来るとどちらを選ぶか最後は
 
 
人間性の問題
 
 
だったんじゃないのかなと。
 
ものすごく多くの人達を喜ばせることが出来るのにそれをしない。
 
人として人の心をどう思い遣って作品を作れるか?
 
自分の欲望のためだけに作品を作るのか?
 
 
もちろん作品作りの最初なんて自分の欲望を満たすものだと思います。ただ描きたいとか。萌えを詰め込んだとか。自分が読みたいから漫画描いたとか…よくある話です。
 
周りが望むものと自分の作りたいもの相違が出てくるなんてこは多々あること。ツイッターでしか漫画を上げてないような自分でも感じられることなので。
 
それを感じていながら、やりたいことを押し通す。
それはやはり人間性の問題です。
 
 
 

受け取れる器

 
もしかしたら牧のメモのシーンがあっただけでも映画の興行収入は倍になったんじゃなかな。50億はいったと思います。
 
「春田創一」を100億の男に!と言われてましたが、もっとしっかり春田と牧の物語を描いて、インザスカイも無ければ夢じゃなかったでしょうね。あの出来で26億いったのですから「春田」と「牧」にお金出すファン層は確実にいたのです。
 
宝くじしかり急に大きな富が降ってわいたとき、
受け取るにはそれなりの器がいる
という話を聞いたことがあるかと思います。
 
こんなオバケ作品、100億どころかもっと継続的に莫大な数字を出すのも夢じゃなかったかもしれない。
 
残念ながらそれを受け取れるだけの器が無かったのでしょう。
やはり人間性の問題に戻ってきます。
 
 
作品を作るという行為に対していかに人間性が関わり、そして重要になってくるのか。
とても良い勉強にはなりました。
反面教師として。
 
 

 

アエラで1万部売れてはる〇くんカレンダーは6千部ほどだったみたいなのでどの田中圭が求められてるのかよく分かる結果でした。